こんにちは!
私のブログにご訪問いただきありがとうございます。
初めまして
このサイト運営者のかのんと申します。
ここにに来てくださった方は、私のこと初めての方ばかりだと思いますので
今回このページでは自己紹介させていただきます。
かのんはこんな人
- 名前:かのん
- 居住地:アメリカ
- 趣味:クラッシック音楽、特に「サラサーテ」と「ドビッシー」/美術館巡り、特にNYのグッゲンハイム美術館/ドライブ/ヨガ歴8年
- 仕 事:プロコーチ/塾講師
- 性 格:・いつもで前向きでエネルギッシュ・困っている人がいると放っておけない性格
- モットー:『失敗はない、フィードバックがあるだけ』
経歴
大学卒業後、外資系金融機関に就職し生き生きとした社会人生活をスタート。
外資系金融機関に10年勤務
入社当初は早く一人前になりたくて社内研修や資格試験にも積極的に参加し、要請があれば上司の接待に同行するなど家族と過ごす時間より社内の人と仕事をしている時間の方が断然長かったです。
そんな激務でも何もかもが初めての社会人生活は、辛いと言うより充実感や達成感が優っていました。
しかし入社5年目あたりから周りの状況が一変します。激務のあまり自分の上司や同僚、後輩が次々と倒れ始め、社内はまさに病気の百貨店状態に。
残された社員に追いうちをかける様に休職中の社員の仕事がのしかかり、社員補充のない現場はパンパンに空気の入った風の様。そう、いつ割れてもおかしくない状態が続きました。
そんな状況下でも無事仕事を回すことができたのは、ひとえにお世話になった上司や仲間のためにと思えたらから頑張れたのです。
しかしその一方でこの経験が自分のキャリアを見直すきっかけになりました。
「このままでは自分もいつ倒れるか分からない」という危機感。
「人は何のために働くのか?」という疑問が頭を中を巡りはじめます。
仕事も自分で回せるようになった入社6年目、転職について真剣に考え始めます。
この会社にいる限り少なくとも当時は経済的な『安定』と世間からの『信頼』も厚く見た目には何の問題もない理想的な職場と思われていました。
しかし一旦この名刺から会社の名前が無くなれば、「自分の市場価値はどれくらなのだろう?」と思うと人知れず不安が押し寄せてきました。
もともと私は結婚をしても仕事は続けたいと思っていたので、働きがいも大事でしたが自分の中で働きやすい職場環境が第一優先でした。
当時遅ればせながら日本にも『国際会計基準』が導入される頃だったこともありこれを習得することが先決と考え、まずは働きながらアメリカの大学の通信教育で「国際会計学」や「国際経済学」の単位を取得することに決めました。
いよいよ転職の準備が整った頃、昇進の話と今の夫との婚約が重なり、結局一旦退職し渡米することを決めました。
渡米後の私
結婚により渡米と言っても、元々私は帰国子女でアメリカで過ごした経験があったので第二の故郷に帰って来たような感じでした。
日本に比べ働きやすい環境が整うアメリカでの再就職は、取得した学びが活かせるのでは?とある意味ワクワク感もありました。
しかしアメリカ国籍のない私はVISAステータスの関係で就労ビザが下りるまでは就職できないという思いがけない問題に直面しました。
それならばと以前から興味があった大学で好きな英語やコミュニケーション学を学ぶことにしました。
いつからでも好きなだけ学び直すことができるアメリカの教育システムの下、幅広い年齢層の友人と共に机を並べて久しぶりの学生を満喫しました。
クラスのない日は、テニスやクラフト・フランス料理のお教室に通うなど就労ビザが取れるまでの間、仕事をしていた頃には叶わなかったことを片っ端からやってみました。
退職して以来はじめて自分でコントロール感を持って時間を自由に使えた時期と言えます。
アメリカの日本人社会で感じたこと
大学に通っている間は日本人に出会うことはほぼありませんでした。
しかし住んでいた場所がサンフランシスコ郊外の比較的日本人が多く住んでいる地域だったこともあり、次第に日本人の駐在員の奥様方と知り合いになる機会が自然と増えていきました。
なかでも日本から渡米して間もない奥さんは、右も左もわからず頼りの綱は同じ会社の奥さまだけ。
その人とソリが合わないと立ちどころに家の中に引きこもるようになる人もいました。
実際、駐在と言う環境や人間関係が原因で離婚することになったりするケースも見て来ました。
その頃初めて、アメリカで暮らしたいと思って暮らしている人ばかりではない事や異文化の中で生活することの大変さを知りました。
その時のふと思ったのは、子育てが一段落したら日本から来たばかりの人に向けて日米の生活・文化・学校の違いや楽しみ方を自分なりにまとめて少しでもそのギャップを埋めることが出来たら良いな・・・と漠然とした中にも熱い想いをが芽生えました。
思い返せばブログで発信したいと言う「種」は、この頃の芽生えていたのかもしれません。
思いがけない10年間の転勤生活
第2の学生生活も十分に堪能した頃、子供に恵まれました。
子供が生まれただけでも普段の生活は激変するものですが、それに加え我が家は夫の転勤で3歳と2歳の子供を連れてアメリカと海外を3年ごとに転勤する生活が10年間続きました。
元々結婚をしても仕事を持ち続けたいと思っていた私は、社会との接点が欲しくて子供が小学生に上がった頃から塾の講師として社会復帰をしました。
生徒が成長する姿を見る事が好きで、そこにやりがい感じていましたが、塾講師の仕事も所詮時間の切り売りで生徒のスケージュールに左右され仕事と家庭のバランスを取るのが難しいと感じ始めました。
ネットで完結するビジネスの魅力
そんな時子供の通うインターナショナルスクールで、不動産の仕事を母国とパソコン1台で仕事をしているママに出会いました。
自分が仕事をするならもう雇われる生活は嫌だと思う様になり、それから程なくし
てAmazon輸出に取り組んでみましたが、在庫管理や配送業務が自分の生活のリズ
ムには合っていないと思い半年で断念。
それでもネット上で完結するビジネスに確かな魅力を感じました。
子供が中学生に入り本格的に復職を考えていた頃、あるセミナーに参加したことでコーチングに出会います。
以前からコーチングの魅力は知っていたので導かれるようにコーチの資格とコーチを育てる講師の資格を取りました。
今では年間100人以上の人にセッションやコーチングの学びを提供させていただいています。
ブログとの出会い
子連れで転勤する先々で訪れた美味しいレストランや旅行に出かけるたびに、これをログで発信できたら、きっとこの情報を必要としている人はいるはず!
そう思いながらしばらくは練習のつもりでアメブロで投稿し始めました。
しかし同じエネルギーと時間を注ぐなら自分のブログを構築したいと欲が出て、一念発起しドメインを取ってWordPressの構築に挑戦してみましたが、独学では難しいと断念しました。
ブログのポテンシャルを感じながらも動けずにいる期間が1年あまり。
ブログの基礎から教えてもらえる信用できる講師の方に出会えるといいな・・・と
ネットサーフィンしていた頃、引き寄せられたかのように今のメンターに出会いブログの基礎から学び始めました。
ブログを通して伝えたいこと
元々ブログに魅了は感じていましたが、ブログを自分の記憶の媒体として使うのではなく、誰かのためになるものを形に残したいと心のどこかで思っていました。
当時私の夫は1年の3分の1は海外出張で転勤先ではワンオペ育児がデフォルトでした。
知り合いがいない中で孤独にならずにいられたのは、誰かの書いたブログを読むことで子連れママでも楽しめる場所やレストラン情報を教えてもらいとても助けられました。
そんな私の実体験から、今度自分がアメリカに帰国したら初めてアメリカに来る日本の方に向けて、少しでも新しい環境に溶け込めるようこんな情報があったら便利だなと言う情報を中心に生のアメリカ生活をお届けしたいと思う様になりました。
英語が苦手でもたまにはお友達と近くのカフェやランチに出かけて上手に息抜きできたらまた明日から頑張ろうと思えます。
このブログを訪れてくださった方が、日本との文化習慣や教育の違いに知り楽しみながらアメリカ生活がスタートできる様心を込めて書いていきます。
どうぞよろしくお願いします。